記憶成分微調整牛乳

私は牛乳が苦手だ。

我が家では牛乳をそのまま飲料として飲む人間が居ないのでついつい牛乳がなくて料理に困ることがある。

 

そんな生活なのでついつい牛乳のことを忘れがちであるが、小学生の時、お弁当持参な中牛乳は配給されており、私はそれを飲むのが本当に辛かったことをふと思い出した。

 

母校には牛乳係という係があった

飲み終わった生徒の牛乳パックを回収し、一定の保管場所に運ぶ地味な係である。

牛乳が嫌いな私には最も関係のない役割のように見えるが、私は牛乳係だった。

 

何故なら牛乳係は1つだけ大きな強みを握っているからである。彼らは生徒の飲み終わったパックを教卓付近で回収するのだが、回収する際、いやらしく生徒たちのパックを振り、残量を確認する。量が多いと、残すな。飲み直してこいと言った強烈な圧を添えて生徒とパックを送り返すことができるのである。私はとにかく毎日の牛乳が苦痛で堪らなかったので、何度も追い返された記憶がある。何とかならないかと考えた私はいっその事、牛乳係になってしまえば、自分の牛乳パックは適当に誤魔化して回収できるのではないかと気付いた。それ以降、係決めでは毎回率先して牛乳係に立候補したような記憶がある。

 

実際係になってみると、他にもその便利さに気づく。毎週水曜日、仲良くもない年下の学年の子達と無理矢理遊ばないといけない地獄の昼休み制度を牛乳係の仕事があるからと短く切り上げたり、何かと面倒な事は牛乳係の権力をやたらと振りかざし、乗り越えていた。

 

気づかないうちに嫌いな牛乳に助けられていたようである。

 

昨日、初めての好奇心で食べたみかん入りの牛乳寒天は、牛乳を嫌々飲み干した後にみかんを食べ、想像を絶する口内の気持ち悪さに苦痛を覚えた牛乳係の小学生時代をうっすらと甦らせてくれた。

 

あれから10年以上経つが

やはり牛乳は苦手なままだ。